2021年8月30日月曜日

“Inside Out” Benjamin Earl

 Inside Out (Benjamin Earl, 2021)


Benjamin Earlの新刊。正直、読まんでいいと思うけど、氏の近著でどれかというならこれが一番いいと思う。

昨今のEarlは古典復興というか、原始的なトリックによる『現象』の再評価に力を入れている。ここで括弧付きで『現象』としたのは、トリックの構成要素である現象ではなくて、その受容のされた方、つまり観客の受けるセンセーションという意味での『現象』だ。なるほど我々マニアは往々にしてトリックを雑に演じるし、プロのパフォーマーだって立て板に水の口上とともに現象をつるべ打ちにしているのをまま見る。それは確かに、あまりよくないことであろう。また確かに、複雑なトリックはその構造からして現象も『現象』も蔑ろにしがちでもあろう。だからEarlの問題意識や解決手段は、全面的に同意はできないまでも、十分に理解しまた共感できる。

このスタイルが如実に現れたのがThis is not a boxで、そこではシンプルな現象でストレートに殴るぜ、といった感じだった。本書の取り組みはそこからさらに発展して、より多彩なトリックと、『演出』を備えている。ここでまた括弧付きで『演出』としたのも、やはりトリックの構成要素である演出というよりは、その外部にある『演出』を意味したいからだ。まあ適当な用語であるが、なんとなく伝わるのではないかと期待している。

この本の主題は『演出』である。収録されてるトリック・プロットはこれまでの著作に比べてかなりバリエーションに富んでおり、手法はシンプルながら構築も上手い。観客を巻き込んだり、観客にすべて自分が操作したかのように思わせる細かな工夫も巧みで勉強になる。それでも、本書の主題は『演出』なのだ。それは”The Universal Presentation”という収録作を見れば確かだ。内容は手順の枕だけであり、手順解説はなく、しかも続く手順を選ばない。具体的な現象は、言ってしまえばどうでもいいのである。それがオマケとしてではなく、本書のテーマに沿った一作品として収録されているのだから、本書の眼目がそれぞれの具体的な現象やハンドリングにないことは明白であろう。

『演出』を描写し切るためにEarlは筆を尽くしている。実際にその手順を演じた場面や、相手とのやりとり、場の空気といったものを小説風に書いていて、それは仲間内のパーティーで、ポリシーに反してふとマジックを見せてもいいなと思った時の、気の緩みのようなものであったり、ランニング中に手順を思いつき、帰宅してすぐ奥さんに試演したときの浮足だった気持ちなどを捉えていて、Earlが実際にそうしているところをありありと思い浮かべることができる。

それでまあ、本書はかなりいい本だ。マジシャン騙しではないけれど、色々なプロットのEarl流に洗練されたハンドリングが収録されているし、細かな工夫も良い。それらは『演出』のために選び抜かれた部品であり、筆致と組み合わさってEarlの主張をはっきりと伝えている。完成度の高い本である。

しかしそれ以上に良いのは、これだけ筆を尽くしてもなお、氏の『演出』の危うさが露呈していることだ。すべての手順でそうという訳じゃないが、たとえEarlが演じたとしてもなお「しゃらくせえな」と感じてしまうものが、誰が読んだって一つ二つはあるだろう。氏が誠実に書こうとすればするだけそれは露わになり、その不完全さのために本書の出来はかえって良く、氏の他の著作よりおすすめである。

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