2021年9月27日月曜日

“Theseus” Nathan Colwell

 Theseus, A Magical Journey (Nathan Colwell, 2021)

有名な思考実験『テセウスの船』の話をしながら演じる謎プロブレムを研究した薄めの本。

『テセウスの船のパラドックス』とは、プルタルコスが記した、英雄テセウスの船にまつわる哲学的な議論のことです。テセウスの船の老朽化した部分を置き換えていくのだが、それはまだテセウスの船と言えるのか、さらに論を進めて、全ての部品が置き換わり、元の部品がひとつも無くなってもそう言えるのか、という『同一性』についての議論ですね。

それを話しながら演じるこの手品では、観客に赤裏のカードの表にサインをしてもらい、その後そのカードを破って、一片ずつ青裏の別のカードに置き換えていくのだが、最後に完全に置き換わったはずのカードを表にすると、なぜか元と同じカードで観客のサインもちゃんとある、というもの。

本書では著者による解No. 3, 5, 6, 10が提示され、また没になった解No. 7, 8, 1の反省点、寄稿としてHarapan OngとSimon  Aronsonの解が載っています。現象を読んだら想像できると思いますが、すっきり解決できるようなプロブレムではありません。この現象を妥協無く成立させようとするため、解はどれもなかなかに複雑で、ギミックを使ったり、加工をしたり、その全部だったりします。演出面で既に敷居が高いですが、演技面でも手軽にできる手順ではない。一方で、それぞれの解がどれも異なったアプローチをとっており、大同小異のバリエーション群で無いのは非常によいポイント。さらに、それぞれの手順はアスカニオやワンダーの理論に基づき、細かな身振りまで検討され、演技環境にも気を使って手法が選択されています。現象もちょっとずつ違っていて、カードを破らないものなどもある。また独特な現象を妥協なしで解決しようという試みのため、産み出された手法やサトルティも独特で面白いです。

また、こういう見立て手品は、往々にして元ネタの不思議を手品によって(不誠実に)再現したものになりがちで、自分はそういう手品はよくないと思っているのだが、テセウスの船は答えの定まらない問いであり、手品“Theseus”も何らかの答えを強制したりせず、また最終的に提示されるのが不可能物体であるためあまり気にならない。

このプロットが一般的なものになるとは思わないし、カードを破る系手順をやる人以外は直接参考になる場面も少なかろうが、一方で自分の好きなモティーフからシグネチャーエフェクトを作りたいという人にとっては非常によい記録(ログブック)だろう。なお語彙がなかなかに高尚で、注釈もかなりしつこいので読むのはちょっと大変でした。次に何か発表されたらそれも絶対買うけれど、もうちょっと削ってスマートにしてもいいと思う。