2017年2月28日火曜日
"10 MAX" Boris Wild
10 MAX(Boris Wild, 2015)
10 Card PokerをあつかったBoris Wildの小冊子。
Boris Wild氏はFISM演技が色々な意味で有名ですが、一方でACAANやOpen Predictionなどのプロブレムに対して、非常に評価の高い解答を案出しています。そんな彼が10 Card Pokerを扱った冊子を出していると知って、10 Card Poker好きの私は(一度も演じたことはないのだけれど)飛びついたわけです。
結論から言うと本書はそんなにお奨めしません。
サブタイトルには、あるひとつの原理を元に10枚のカードで行う現象を10個、とあります。こう書くと、原理をいろいろ料理してるのかと思いますが、ハンドリングと現象はぜんぶ同じで、演出というかフレーバーが異なっているという感じです。
10 Card Pokerには2つの系統があり、ひとつはヨナ・カードを使う系統で、選択が非常に自由ではあるもののオチが地味。もうひとつがAlex ElmsleyのPower Pokerの系統で、選択がかなり制限されるもののロイヤル・フラッシュなど派手なオチが決められます。Boris Wildが元にしたのはPaul GordonのHead to Head Pokerという手順で、これは後者の系統になります。
Paul Gordonの手順は、Elmsleyのものと違って技法を使わず、Bannon-Solomon-Blombergのような処理でもなく、2.4.2 Dealのように途中でシャッフルしたりもしません。最後の一枚はどうにもうまくありませんが、全体としてはなかなか良いバリエーションと思います。
ただBoris Wildの手順はそこからまったく離れません。ESPカードを使ったり、イラストのカードを使ったりと、道具とテーマを色々変えるのは良いのですが、その程度の内容は『道具立てはこうで、演出はこう』とそれぞれ数行で終わらせるべきです。同じセットアップや同じ注意、同じ手続きの解説を(ある程度短縮されているとは言え)何度も読まされるのははっきり言って苦痛です。
うーん、あまりよくなかったなあ。
たとえば、ケーキの材料とゲテモノが描いてあるカードから、観客が見事にケーキの材料を選り分ける、というのがあります。これだって観客が正しい材料4つと間違った材料(たとえばサンマとか)を選び、演者がダブパンを開けるとサンマの刺さったケーキが出現する、とかだったらばもうちょっとなんというか広がりを感じるのですが。
ポーカー以外にも色々使える、というのは分かりましたが本書自体はいまいちです。
2017年2月1日水曜日
"The Garden of the Strange" Caleb Strange
The Garden of the Strange (Caleb Strange, 2007)
私が持っている中で、最も××な手品本だ。
この××の部分に最も多くの文章が当てはまるのが本書だ。
私が持っている中で、
最もタイトルが格好いい本だ。
最もジャケット・デザインがいい本だ。
最もジャケットを脱がせた所が格好いい本だ。
最も壮大な現象を収めた本だ。
最も現象文がドラマチックな本だ。
最も演じられる人のいなさそうな本だ。
最も現象文と実際の手法の落差が激しい本だ。
最もでかい風呂敷を広げた本だ。
つまりはそんな本だ。
基本的には無名の人だろう。私もまったく知らなかった。ではなんで買ったのかというと完全にタイトルとジャケットである。だって格好いいでしょうが。The Garden of sinners(※)っぽいし。
どんな本かというと現象はビザーマジック、メソッドはメンタルになる。
メンタルにもいろいろ有るので、僕の個人的な分類をざっとだけ書いておこう。基本的に3つのグループに分けられると思っている。
ひとつはマジックの手法を使うもの。
現象があり、タネがある。
AnnemannやCorinda(どちらも未読)からきて、WatersやMavenに続く。マジックの手法から演出を変えて行っているパターン。
ひとつは確率の手法を使うもの。
現象があり、時としてタネがない。
Banacheckなどサイコロジカル・フォースに大きく負うパターン。
ひとつは催眠術ないし偽の催眠術や心理学を用いるパターン。
時として現象がなく、タネもない。
Knepper(未読)、Jermay(初期)、最近だとFraser Pakerとか。
ああそれからマジックかどうか微妙だけど占い(Reading)ってのもありますね。じゃあ4つだ。
もちろん明確に区分できるものではないが、おおよそこういったイメージでいる。そこでこのCaleb Strangeだけれど、三つ目のパターンに近い手法を多く用いる。Jermayは初期のDVD Skullduggeryで、手相を観ている内に掌紋がうごめきだすという現象をやっていて、これはまあなんというか『物理的にタネは無い』んだが、この本も同じメソッドを使った手順から始まる。
この時点で既に、本書は多くの人の射程外になってしまうだろう。
だが問題はその演出なのですよ。
手順はこんな風に始まる。
あなたは観客達と屋外にいる。太古の儀式に使われていたという列石の間をともに歩き、ともに一日を過ごしてきた。あなたが口にする数々の物語に観客達は心打たれ、また彼らも自らの意見や、感ずるところを話して、グループの結びつきは密になっていた。そして今、あなたの導く旅路は終わりに近づいている。日はゆっくりと夜に浸蝕され、空を崩していく鋭い漆黒のショベルは、幾万の星に濡れ始めている……。
あなたは石に刻まれた紋様の話をする。定説は無いが5000年も昔の人類が刻んだと言われている紋様だ。
あなたが「火を!」と合図をすると、スタッフが松明を灯す。「我々の脳の中には」とあなたは話し始める。「太古の記憶が残っていると言われている。我々の祖先が、初めて光の中に出て、空を仰いだ時の記憶が。そしてきらめく歯と牙――何者ともしれない、夜に潜む恐ろしいものの記憶が」
あなたは石を触媒に、観客の太古の記憶を探っていく。観客の手の中で、石の紋様がうごめき、踊り出す。そしてあなたは、何か巨大なものの姿を彼女の中に見る。追いかけるそれ。逃げ惑う私。降りしきる雨。そして――
手順のタイトルはHunting Mammoths in the Rain。
『雨の中、マンモスを狩りに』だ。(※※)
もちろんDrawing Duplicationだとか、コインベンドだとか、普通のメソッド、普通の現象の手順もあります。でも演出は一事が万事この調子で、無駄な壮大さ、ドラマチックさなのです。
変な本でしょ?
他の手順はというと、降霊会を終えて館を出ると庭の薔薇がみんな散ってるとか、月が消えるとか、プラムパイを割ったら蛆虫が湧き出すとか、占いをしていたら護符のようなものが虚空から現れ出でるとか。
メソッドはどれもたいしたことはなくて、目新しいわけでも巧妙なわけでもない。ただそれだけに、僕らの知っている程度の道具を使って、ここまで大きな絵が描けるのかと呆気にとられる。しかも2007年にあってだよ。
この本の手品を演じる事は無いだろうし、演じられそうな人もとんと思いつかないが、それでも凄い本なのでした。
※『空の境界』の副題
※※通りがいい様に意訳したのは許して下さい。
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