2020年1月18日土曜日

"Totally Free Will" Mark Chandaue



Totally Free Will (Mark Chandaue, 2019)


Free Willの『究極』を求めるという小ぶりのハードカバー。その試みは確かに達成されていると言えなくもないが、一方であんまりにも夢が無い。

Deddy CorbuzierのFree Willは一世を風靡したエフェクトで、私もたいへん気に入って、一時期よく演じていた。現象はこうだ。3つのオブジェクトがあり、観客が自由にその配置を決め、しかしそれが予言されている。これはエキヴォクと、ある古典的な原理、そしてFree Will Principleとして知られるようになる原理(実際にはこの手順より前からあるが)が奇跡的にかみ合って達成されている。それぞれの原理は単体では弱いのだが、合わさることで不思議な魅力が生まれている。ただ正直に言えば、観客に対する現象の強力さというよりも、演じる側の楽しさ、仕掛けとしての気持ちよさの側面が強かった。だからこそ多くのマジシャンが魅了され、演じ、バリエーションを考えたのであろう。

……であるから、本書の冒頭で著者が『XX原理のあいまいさが気に入らなかった(伏字引用者)』と言ったときに嫌な予感を覚えた。そしてそれは的中した。

なるほどたしかにFree Willは弱いし、特にXXは弱い。そしてコストを度外視した力技を用いれば、その『弱さ』は克服できるだろう。ただ元の手順にあった、弱い原理の奇跡的な組み合わせとしての魅力はまったく無くなってしまう。Effect is Everythingの考えからいえば著者は正しいともいえるのだが、それでも、ある原理についてまわる『あいまいさ』を消すために力技を導入するのはあんまりにも夢が無い。というわけで、私にとって著者の方向性はあまり楽しめるものではなかった。それに結局のところ、一番うたがわれる箇所にタネシカケを持ち込むことになるので、本当に手順としてよくなっているかにも疑問がある。

ところで本書の約半分は寄稿であり、著者の方向性が合わなかった私はここに救われた。Free Willの原案がある意味で『瑕疵』だらけなので、それを改善せんと試みる各人のアプローチもそれぞれ異なっており面白い。特に(既読ではあったが)元の原理のひとつを別のフレキシブルな原理に置き換えたDrew Backenstossの手順、またFree Willを電話越しに演じられるようになるMichael Murrayのアイディアがとびきり刺激的だった。Murrayのは例によって確実性が不安のある原理で、別言語への適応も難しそうだが、それでもFree Willを電話越しに演じられるのは面白い。

著者の『聖杯』は、私にとっては承服しがたいものではあるが、たしかにひとつ突き詰めたかたちではあろう。さらに色々なバリエーションも紹介され、総体としては面白い本ではある。

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