2015年6月26日金曜日

"Destination Zero" John Bannon





Destination Zero(John Bannon, 2015)




 才人Bannonの新作。セルフ・ワークのカードマジック25作品。


 これまでのBannon本とはちょっと違う印象を受けた。Bannonといえば技術は比較的簡易に留めつつ、現象のためには手段を選ばない、洒脱で紳士で大人な、しかし極めてずるい人・作品というイメージだった。
 しかし今回は、いささか偏屈な印象を受ける。

 というのも本書では、ともすれば『現象』よりも手法上の『縛り』に重点が置かれているきらいがあるのだ。
 セルフワーク縛り。それもクリンプやフォールス・カットはおろか、ダブルアンダー・カットまでも排した純然たるセルフワーク。いかなBannon先生でも流石にちょっとつらいと言うか、目新しさや現象のバリエーションは、他の著作にくらべて見劣りする。
 個人的には「セミオートマティック」くらいが不思議さ的にも現象の自由度的にも好きなのだが「そういう作品は既にたくさんあるから、あえて私がやる必要もなかろう。Steve Beamの本でも買いなさい」との事。はい。Bannonの才能はそういう分野でこそ強いと思っていたのでいささか残念だ。「それに縛りがきつい方がたのしいだろ?」はい。そうかもしれません。

 しかし、やはり、そこはBannonである。
 クロス・カット・フォースやカット・ディーパーの使用は多いが、種々の策略が組み合わさって非常に不思議な仕上がりのものも多い。手法制限による閉塞感はどうしてもあるが、見せ方などにも工夫が凝らされている。


 またBannonはあまり理論だけを書く事をしない人だが、はしばしの文章と、作品の構成それ自体によって非常に多くの事が示されいてる。

 たとえばセルフ・ワークというと、かならず『意味のない動作』『作業感のある操作』という大きな問題にぶち当たる。それについてBannonはどう思っているのか、どう解決するのだろうか、といった興味が、本書を手に取った動機のひとつでもあった。見て見ぬふりをしてカウント手品を量産する作者も多いが、Bannonに限ってそんな事はあるまい。
 で、これについての氏の見解なのだが――これが非常にドライで大人な意見で、ある種、開き直りに近いものだった。ただし、それに準拠したBannonの手順を読むと、確かにこの手法はひとつの成功を見ている。
 セルフワーキングで往々にして感ずるような――もっと言えばマジック全般で感ずるような――嫌らしさ、そらぞらしさはかなり薄い。

 また後書きでは『なぜマジックをするのか?』、『マジックが提供すべきは不思議(Wonder)なのか? それとも不可能(Puzzle)なのか?』というありふれた――しかし重要な――問いにも答えているのだが、これも一見の価値有りと思う。
 魔法使いの仮面をかぶれず、生活人であり、ただの趣味人であり、そして大人の人間である『私』は、どう手品を演じるのか。手品界隈においてこれ以上はないアマチュアで、マニアで、大人の、Bannonの考えが示されている。



 作品についても少し触れておこう。

 観客が心の中で決めたカードが、演者のポケットに偶々はいっていた小銭の総額と同じ枚数目から出てくる"The Thirty-Second Sense"。Dear Mr. Fantasy(邦訳あり)でもひときわ光輝を放っていたある手法を用いるのだが、やはり凄い。

 観客がカットした場所から、演者があらかじめ予言していたカードが出てくる。古典的な技法だが、ちょっとしたひねりと、捻れた手順校正でうまくそれを隠匿している"Leverage"。

 退屈になりがちな某・数理原理を、演出でカバーした"Sort of Psychic"。『演出でカバー』というと、適当なお話をつけるとかそういうイメージになってしまうが、そんな単純なものではない*。

 はやくもクラシックになった感のあるDeddy Corbuzierの売りネタFree Will。これをカードで行うのだが、カードであるが故に、あるぎこちない箇所が美しく解決される。"Free Willy"。

 Bannon流のMindreader's Dream、"AK-47"。

 このあたりが特に印象に残っている。なおBannon氏のサイトで各現象を簡単に紹介しているが、かなりの省略があるので真に受けるとちょっとがっかりするかもしれない。

 全体的に手順は長くなりがち。一対一で、ゆっくりと演じられる人向けだと思う。またセルフワークだけどかなり難しいという気はします。特に"AK-47"は、かなりアドリブ能力が求められる。

 というわけで、やや人を選ぶがたいへん面白かった。これまでの本は手法・手順が抜群に面白かったわけだけれど、今回はどちらかというとBannonの主義に触れられて、それがよかった。
 でも、やはり「セミオートマティック」集が見たかったなあ。


*演出について少し書いておくと、多くの『いわゆる演出』は結局の所ただのお話であり、観客は聞いているだけになりがちだ。意味は付与されるかもしれないが、直接的な面白さには寄与しない。しかも往々にして冗長である。現在のBannonは、意味づけやお話作りにはあまり積極的ではないが、しかし"The Thirty-Second Sense"や"Leverage"などを読めば分かるとおり、手順全体を通して観客の『体験』はとても起伏に富んでいる。

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