In Order To Amaze (Pit Hartling, 2016)
Card Fictionsという歴史的な名著から十余年、待望の新刊。メモライズド・デックをつかった21手順。
Pit Hartlingは頭がおかしいのだと思う。
前著、Card Fictionsは、納められている7作品どれもが本物の一級品だった。In Order to Amazeではメモライズド・デックにツールを限定しているため、手法的な新しさは流石に少し落ちるが、それでも21作品すべてが、やはり本物のプロの手順だ。
プロの手順という表現にも色々あって、なんだ、その、プロが現場で使っているという『だけ』の、『いわゆる実用的』な手順を指している事もままあるのだが、このHartlingの場合は違う。
現実の観客を大いに沸かせ、かつ、マジシャンすらも騙し仰せるプロ中のプロが、そのオリジナルなパフォーマンス・ピースを公開しているのだ。しかも梗概などではなく、微に入り細に穿って。繰り返しになるが頭がおかしいのじゃないかと思う。
Hartlingの手順は、なにより非常によく磨き上げられている。手法の選択や構成ばかりではなく、台詞や演出、タイミング、ユーモア、演者の態度といったことまでが、手順の効果を高めるために入念に作り込まれている。
それでいて、どれかひとつの要素に依存しすぎてはいない。これが他の有名マジシャンの『魔法の手順』だと、ほとんど個人的な名人芸、たとえば特殊な技法であったり、タイミングやハッタリ、話芸だったり、に全面的に依存していたりもするのだが、Hartlingのはそうではない。たとえば演出やタイミングが多少まずくても、技法で追うだけで十分に不思議だ。あるいは技法が多少まずかろうとも、タイミングや演出によってカバーされている。
その上で、各々の要素を鍛えあげていくと、本当に魔法としか言えない現象が達成できる。
本書では全ての手順でメモライズド・デックを用いている。そして全ての手順で、――フル・デックを使うアクロバティックなポーカー・デモですら――スタックを破壊せず、もとのスタックに回帰することが出来る(ちょっと大変なのもあるけれども)。
また21手順のうち固有スタックを使う物は、実は4つしかない。ネモニカが2つ、ネモニカでもアロンソンでもできるものが1つ、ネモニカから修正を加えたものがひとつ。他スタックでの手法もちゃんと研究されているのがすごい。『おおよそどんなスタックでも』できる手順があるのだが、これには実際、すべてのスタックについて手順が用意されている(専用のプログラムがBehrによって用意されており、自分のスタックを入力すれば手順書が自動生成されるらしい)。
カード当てがやや多いが、しかし現象は非常に多彩だ。特にDenis Behrのカルテット・コンセプトを導入した章では、完全にばらばらにしか見えないデックから、観客の言った4 of a kindが現れたり、消えてポケットから出てきたり、何度も変化したり(しかも怪しい動作いっさいなしで!)と、カードマジックの理想のような現象が目白押しである。また同じコンセプトを、もっともっと地味で、しかしにやりとするような方法に用いている手順もある。手法の活用方法も多彩だ。
手法と言えば、Card FictionsではHigh Noonなどにその片鱗があったが、複数の原理や要素、現象の組み合わせが互いを補い、高めあっているような手順が多く、読み込むほどにその巧みさに感嘆せざるを得ない。たとえばメモライズド・デックの主たる用途としてカード・インデックスがあるが、Mnemonicaではこれを、単に言われたカードがポケットから出てくる(飛行する)という形で使っていた。HartlingのThe Illusionistもまたポケットへの移動だが、ついさっきまで確かにデックのばらばらの位置にあったはずの4 of a kindが、いつの間にか消えて、ポケットから出てくる(かのように感じられる)。
演出もすばらしい。表を見てカードを選り分けていなくてはならないようなカード当てもあるが、観客の興味を引くような演出と言い回しで、かなり緩和されている(Sherlock)。Card FictionsのUnforgettableで見せたような、一般的にあまりマジックらしくない手順(記憶術やポーカー・デモ系の現象)を、楽しいマジックに仕立て上げる工夫は今回も健在だ(Fairly Tale Poker)。どのような現象であっても、常に、不思議で楽しい『マジック』を指向している。
推薦文には、かりにあなたがメモライズドを使わないとしても必読だ、とある。確かにその通りで、非常に価値のある多くの策略に充ち満ちている。
ただ、かなり高度な本である事は確かだ。メモライズド自体がまあ高尚だけれど、それ以外の部分もそうで、張り巡らされた数多の策略を吸収し、自らのものとするには相当な能力が要ると思う(私にはまずメモライズド部分からしてハードルが高い)。また難しい技法も平然と、解説もほとんどなしで多用する。誰彼となくお勧めできるわけではない。
しかし、間違いなく一級品の本で、一生ものの価値がある。
こんなものを出版してしまうなんて、そしてこの程度の値段で売ってしまうなんて、やっぱりHartlingは頭がおかしいんじゃないか。