2021年7月31日土曜日

“Natural Card Magic” Ryan Murray

Natural Card Magic (Ryan Murray, 2021)

これはすごい。この人はどこまでも本気だ。

謎ファロー本Curious Weavingに続くRyan Murrayの作品集というか研究本。今回取り上げられている原理は、公式サイトで“an old and rarely used principle”としか言及されていないので、ここでも詳述はしませんが、やっぱりまたマニアックで高度。ただこの人がすごいのは、これを高難度のネタとしてでなく、しっかりと具体的に、現実的に使っていこうとしていることです。それはCurious Weavingでもそうだったけど、さらに進化している。

例えば原理のためのセットアップ手法がいくつか紹介されるんですが、それが実際に後の手順で使われる。しかもその手順、説明用にでっち上げたものじゃなく、観客相手にちゃんと使っていることがよくわかるもの。机上の空論では決してない。

手順は9個あって、カード当てが多めですが、どれも十分に一般受けし、それでいてマニアも殺せるだろうもの。特にAce Cuttingは理想的。観客の混ぜたデックからAをカットできるという時点で最高なのに、最後の一枚の演出がとてもよい。またトリを飾るTopsy Turvy Acesは、ちょっと難しくて手元での再現すらおぼつかないのですが、うまくできたら魔法。カード当てみたいなタイプの不可能性ばかりでなく、こういう物理的な不可能現象(ここではトライアンフ系現象)もしっかりやっていくのがいい。またCurious Weavingの手法を使う手順もあり、やっぱりこの人、あれもこれも実用技法として使っているんだなという凄みがある。

ともすれば難しいばかりのマニアックな内容になりがちなところ、氏の「現実の観客に演じる」というスタンスによって、原理・準備・運用・手順がしっかりと結びつき、とてもいい本に仕上がっている。また原理自体はレアだが、ある一般的な原理のサブジャンルでもあるので、過去の蓄積がさまざまにあって、Ryan氏はそれらをしっかり取り込んでいる。だから前著よりも広がりがあり、より多くの読者にリーチするだろう。ただ、一般の観客を楽しませ、マニアも騙せる内容なのは確かだが、一方で相当に難しいのも事実で、やっぱり誰彼となくお勧めはできないかな。ギャンブル系統で腕に自信のある人とかなら、前著とセットで買うのが超おすすめ。

2021年7月6日火曜日

Thinking the Impossible再版に寄せて

Thinking the Impossibleの日本語版が再販されるとのことだ。かつて翻訳を手がけた者として何か一筆書いて然るべきだろうと思い、そのようにしているのだが、正直に言うとあまり実感がない。もう6年も経っているというのもあるが、そもそも当時から、いまひとつ自分事として感じられないところがあった。

それはひとつには、私が『たかが訳者』であり、本の根幹とは関わっていないからであろうが、もうひとつには本というものが、そもそも制作者から切り離されたものだからだろう。各種データの準備・入稿から紙の選定に至るまで、すべて私が手を尽くしたはずなのだが、いざ刷り上がって手元に届いた本は、まるでずっと前からその形でこの世に存在していたかのように、なんなら一度や二度、古本屋でお会いしたことがありますよねといったすまし顔をしているのだ。そういった、ある種の汎時的な性格が本にはある。

――観念的と言うのも憚られる妄言はここらで止めにして、実際的な話をするなら、まずは本書が売切れていた間に、再販の問い合わせをしてくれた各位にお詫びとお礼を言いたい。『絶版』の二文字を心の底から憎む私ではあるが、いざ自分が当事者になると、なるほど、事はそう簡単ではないのだ。それでもこうして再販に漕ぎ着けたのは、折々で再販の要望を投げてくれたあなた方のおかげだ。だいぶ遅れてしまったが、いまでもまだ興味が残っているなら、手に取って頂ければ幸いである。

再版にあたって内容はほとんどいじっていない。気づいた範囲の誤字脱字を直した他、どうしても看過できなかった訳語を1~2か所ばかり修正した程度だ。それとは別に、当時のつたない組版を無理のない範囲で直してもらったので、ほんの少しだけ見栄え良く、また読みやすくなっているのではないかと思う。表紙デザインその他については、造本が変わるのだから相応しく変えなくてはと強く主張したのだが、様々な現実的問題に直面し、おおよそ元のままとなった。第三版に期待している。

さて本文に大きな差違はないのだが、巻末に『解説』として麻鞍半一氏による文章がたっぷり16ページ加わっている。氏の文章はこういった場としては異例なほど鋭いものであり、私としては大いに蒙を啓かれる一方、異議を申し立てたい箇所もあるのだが、それは氏の文章が当たり障りのない阿諛追従などでは決してない真摯なものであることのあらわれだろう。確かな目と筆力を持った人が、本書について(ひいては手品について)文章を書き、それがしっかりと残るというのはとても良いことだと思っている。再版でしか読めないのはなんだかズルいので、どうにか別の入手経路も用意できないかと思っているが、まあ思っているだけで今のところ具体的な事は何も考えていない。

ともかく、再版となったのはめでたいことだ。世の中には本が山とあり、良い本もそれなりにあるが、残る本というのは本当に少ない。そういった、時間を越えて残るもののことを『時の試練を経た(Time Tested)』と言ったりする。本書がTime Testedとなるかは分からないが、少なくとも、重要な第二歩目を踏み出したことは間違いないだろう。

最後にひとつ残念なことがある。刷り上がったこの版を、原著者のRamón Riobóo氏にお見せできないことだ。氏は2021年の(おそらく)3月に亡くなった。甥御さんによる追悼記事があり、スペイン語ではあるが英語への自動翻訳でおおよそ支障なく読めるので、興味のある方は一読されたい。https://danirioboo.com/2021/03/15/ramon-rioboo-el-mago-de-la-curiosidad/